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Vol.22
「安心、安全」

2014/03/07

 よく「安心、安全な町づくり」とか、「安心、安全な救急医療」という言葉を聞く。私自身も軽々しくそのこと言葉を口にしてきた。しかし、安心、安全とはなんであろうか。
 安心。社会においては生命、財産が奪われることなく平穏に生きていけること、さらには社会を構成する人たちがお互い繋がりあって、社会全体がセーフティーネットで覆われることが安心なのである。家族がいて、仲のいいお隣さん、友人がいることは、本当に安心して暮らせる要因である。救急医療においては、急病やけがの時にいつでも診てもらえるお医者さんがそばにいてると安心である。「赤ひげ先生」である。しかしいまは診てもらえるだけでなく、専門的かつ高度な医療がいつでもどこでも受けられるということが求められている。
 安全。救急医療においては「根拠(エビデンス)のある」あるいは「治療指針(ガイドライン)に沿った」医療を実践することなのであろう。さらに医療ミスを防ぐための様々な取り組みも医療機関の責任で行わなければならない。そのため「医療安全委員会」の設置が医療機関には義務づけられている。
 先日、昨年まで警視総監をされていた方の講演を聴く機会があった。警察の責任とは何か。「安心、安全、かつ活力がみなぎる社会を形成すること」が警察の責任であると述べられた。ハッと思った。
 規制を強めると確実に安全は保たれる。しかし、あまりに規制が強いと生活は息苦しくなり、社会活動は低下し、社会全体に活力がなくなる、と話された。本当にその通りである。だから、規制することも大事だが、活力がみなぎる社会を築くことが警察の責任であると話されたとき、日本の警察の素晴らしさを改めて思い知った。
 救急医療においても全く同じことがいえる。安全を重視するがために、窮屈なルールをたくさん作っていないだろうか。本来なら現場で即座に判断しなければならないことを、リスクを考え判断が遅れていないだろうか。もちろん救急医といっても人間なのだから、一刻を争う救急という現場でいつもいつも正しい判断ができるはずがない。しかし社会はその判断が正しかったのかなどと、後になって当事者を責める。その結果、医療は萎縮し、最終的に医療を受ける患者にその弊害が返ってくるのだということを社会全体で今一度理解しなければならないと思う。
 もちろん医療ミスなどない方がいい。しかしそれは平時のことであって、救急医療や災害医療でそれを持ち出されても我々救急災害医療に携わっているものは困惑するのみである。安心、安全はもちろん大切なことであるが、これを守りつつ活力がみなぎるようなバランスのとれた救急医療を目指したい。
 元警視総監の素晴らしい講演をお聞きし、こういう人たちが日本を守っているのだと思うと、本当に頼もしいし、「ありがとう」と感謝の気持ちで一杯となった。