大阪府三島救急医療センター 072-683-9911

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15年を振り返って 

創立15周年記念誌「絆」から抜粋

森田 大 救命名誉所長

 1985年11月1日午前9時、産声を上げた三島救命救急センターでの仕事が始まった。当時の田邉所長以下総勢12名、いずれも三次救急医療の経験の乏しい者の混成部隊である。ここには脳外科、胸部外科、一般外科、整形外科、麻酔科、内科のどのような領域の救急患者にも、その時点での最良の医療が施せるように医師が集められていた。一つの大学からの人事のためお互いの気心がわかり比較的気楽な気持ちで望むことが出来た。第1号の患者はなんだろう。各科互いに牽制しあいながらも、何でもみてやろうやってやろうという気概に燃えていた。まもなく、事故により出血性ショックを呈した重症の多発外傷患者が運び込まれ、検査の結果主たる出血源は骨盤骨折、腹部臓器損傷と判明した。止血目的に開腹されたが、あとは泥沼。ついにティッシュトート。三次救急に運ばれる凄惨な患者の治療が一筋縄にいかないことを思い知らされた。

 当時大阪府下にはすでに4つの三次救命救急センターが活躍していた。近くには府立千里救命救急センターがその名声を恣ままにしており羨ましく思いながらも、まず立ち上げるためには無我夢中であった。これら先輩諸氏に伍して成績を上げ、三島独自の特色を出し地域の信頼を勝ち得るにはどうしたらよいのか。当初は救急隊からも絶体絶命センターと揶揄されたり、看護婦からも手術成績の不振を指摘されたりした。目論みとは違った環境に戸惑いを見せながら辞めてゆく看護婦が多かった。医師も一部を除いて大学医局人事の都合や個人の事情によりしばしば交代した。マンパワーの不足に加え、交代につぐ交代で医師同士の纏まりの悪さも影響し、しばらくは医療内容の安定しない苦渋の日々が続いた。さらに不運なことに開院1年余にして所長が病魔に倒れ、センター存続の危機に見舞われた。高槻市医師会長から個人的に「いまさら潰すわけにも行かない」と言われ、ともかく自分の得意とするところを淡々と押し進めること、そしてセンターの柱となる診療特性を作ることを自分に言い聞かせた。

 大学病院では比較的安定した選ばれた患者が紹介されて来る。しかし、全く違った世界がここにあった。まさしく医療現場の修羅場である。生々しいフレッシュな症例が豊富に経験できる。多くの医学知識を総動員し有機的に構築してゆかないと病態把握に齟齬が出る。ありとあらゆる救急患者、複雑な病態の患者を前にして従来持ち合わせている専門領域の知識量はたかがしれている。各科の意見を集約して臨床決断をしなければならない。その意味では基本をマスターした臨床のできる医師の実力をつける最もふさわしい施設であると自負できる。臨床判断と治療の選択次第ですぐに結果が現われる。一時も気が抜けない。一生懸命やれば精神的にも肉体的にも3年が限度であろう。それほど医療人にとり過酷な場所である反面、やりがいもある。各科専門の狭間にある境界領域や侵襲学の研究にはうってつけの環境である。1人1人の患者が常に問題を提供してくれている。これをうまく引き出せるか否かは、それぞれの医師が学問的興味を持ち合わせ、どれほど真剣に患者の病態と対峙しているかで決まるように思う。興味の持てる研究テーマを見つけ、着実にデータを集積したり、是非次はあの病気の患者を見たいとの思いを込めながら仕事に励めば、日頃の苦労も吹飛んでしまう。

 5年が経過し、ようやくセンターも軌道にのり、時間的余裕が出てきた頃、現状の救急医療の在り方に疑問を感じ始めていた。日本における救急医の概念や医療分担が曖昧なまま救急医療に従事しなければならなかったこと。曖昧さの延長上に病院のコンビニ化があったこと。外傷に特化された三次救急施設における専門的治療の院内体制が不明確であったこと。救急体制について病院情報が全く開示されず病院選択に過誤が発生していること等々。日本の医療は大事なところで手抜かりがあったのではないだろうか。いろいろな疑問が湧き上がるのを抑えることが出来なかった。その不備の多くは社会的問題として取り上げられる機会があまりにも少ない。日本の社会構造の侵し難い部分にあるためだろうか。多くは葬り去られているように思われた。疑問を感じる内輪から地道に改革を訴え続ける以外に方法はない。

 救命救急センターは地域の人々の命と健康を守る最終砦であるから、その在り方はどのような形態をとってもよい。それぞれの特徴があり、それぞれの特色を出せばいい。それ以上に、地域全体の救急医療を改善しレベルアップするために、またその結果として個人や一施設の利益ではなく地域住民の利益に繋がるように、それに関わる医療人がいかに情熱をもって行動し、持続させて行く努力を払っているか。まさにそれが公的な救急医療施設に問われている。