大阪府三島救急医療センター 072-683-9911

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使命感に支えられる救急医療の崩壊は身近なものに

大阪府救急医療機関連絡協議会  機関紙 大阪救急2007年5月号 巻頭言 より

大阪府三島救急医療センター長  冨士原 彰

 日本の救急医療を支えてきた医療機関で何かが起ころうとしている。「私はこの医療機関で働くことを誇りに思っている。できれば、専門医として継続して勤務したい。しかし、救急を担当させられ、患者から罵倒され、屈辱を受け診療を続けることに耐えられない」こう言ってやめていった内科医、「救急を担当する内科医がやめると言ってきた。何とか代わりの内科医の派遣をお願いに来ているのだが、・・・・・・」なかなか後任がないので困っている病院長、こんな光景を目にする昨今である。地域によれば、すでに、救急患者は紹介だけ診るところも出はじめており、救急医療から撤退せざるを得ない施設も出ている。一方で、地域救急医療の中核をなす施設で、我々が救急をとらねば地域住民が困るという使命感と義務感だけで、少ない人員で「ホントのところスタッフは疲弊しています」と言いながら診療を続けているところもある。しかし、この施設も使命感と義務感だけでいつまで持つだろうか。
 厚生労働省は休日・時間外診療、すなわち一次診療を行う人員を確保するために、次期診療報酬改定において、休日・時間外診療への加算を厚くすることで、現在実質祝祭日の診療を行っていない開業医の応召を求める計画を発表した。日本医師会会長までがこれを容認するかのごとき談話している。確かに、仕事に見合った報酬が支払われるのは一番大事なことである。しかし、夜間休日祝祭日の救急診療のための人員確保とは何か本質が違った議論であり、問題解決には結び付かないように思える。今のような時代は以前にあった。その当時に問題を解決せずきたことの付けのような気がしてならない。開業医の時間外診療への参画とは、また、元に戻ろうとするのかとさえ思える。
 そもそも、わが国の救急医療は、1950年以前の戦争、1950年から1975年までの戦後の高度経済成長、1975年以降と、その社会的環境の変化、そのときの疾病構造の変化に伴い変貌を遂げてきた。1965年後半から1975年にかけ、急増する小児救急をはじめとして、疾病救急は急増し、「患者のたらいまわし」なる社会現象を作り出した時代は、夜間休日の診療は開業医が担当していた。家族も巻き込んで診療に追われる毎日で、家族も含め疲労困憊していた。医者も労働者である意識が大勢を占め、次々と夜間休日の診療から撤退していった。その結果が地域開業医が一つのところで診療する休日・夜間急病診療所の誕生である。当初は当時の熱意ある医師たちの多くがこれに参画、救急診療に従事し、今日の救急医療の一翼を担ってきた。しかし、現実は時代とともにその熱意ある医師たちの高齢化にともない、若い世代にバットンタッチして、救急現場を去っていった。専門外は診ない、診られない医師たちの登場であり、そんな彼等から出る言葉が、「専門外の患者さんを診て、トラブルが発生したら誰が責任を取ってくれますか」である。理解できないわけではない。なぜなら彼等は専門医なのです。また、加えて貴方の専門はなんですかとの問いに「救急科専門医です」と答えると、脳外科の専門医、口腔外科の専門医に診て欲しいと要求する、そんな時代の到来である。
 問題は、時代と共に変化する救急需要に応えるべき人材の育成を怠ってきた結果ではなかろうか。時間外診療を行うように求めている多くの医師たちは、細分化した医学体系の中で、専門領域を究めて来た人たち、専門医なのである。総合診療医としての研修を課すと共に、開業前にへき地勤務を義務付けさせてというが、本当に彼等がこの計画に参画するだろうか疑問を感じる。ようやく親臨床研修が、総合的に診断を下せる医師の養成を目的としてスタートした。その成果を期待するところであるが、現状の細分化した診療体系での研修であることを念頭に入れて置かねばならない。